ビジネスモデルを考える時に役立つかもしれない1つの仮説
2011.01 31

前回、好意と義務の境目についてエントリを書きました。今回はそこからビジネスモデルを考えるときにつなげられる要素がないかを考えてみます。 途絶えないビジネスの要素は何か? 自分にとって、ビジネスモデルを考えていくときに大事 […]

前回、好意と義務の境目についてエントリを書きました。今回はそこからビジネスモデルを考えるときにつなげられる要素がないかを考えてみます。

途絶えないビジネスの要素は何か?

自分にとって、ビジネスモデルを考えていくときに大事なのは「細く長く続く」ことです。
定義としては、「薄利だが、需要が半永久的であるため、ビジネスドメインの選定と品質向上を継続できれば収益は途絶えない」と考えています。
最大利益を追求するというよりも、「食べていけるだけ稼ぐ」というニュアンスが強い想定です。
これは、ベーシックインカムを構築するという目論見には特に重要です。

競争率が高い市場はそれだけ途絶えにくい

流行によるマーケットの一時的な拡大縮小はあるにせよ、長い目で見れば「途切れない」ことが重要です。
その最たるものは、「衣食住」というライフラインそのものにビジネスを展開することでしょう。これは生命活動に関わるところだからでしょうが、中には長年の文化形成によって必需と化したものも対象になります。

しかし、競合も多く薄利多売であることも多く、仕入れから製造、販売までをすべて自社でおこなう大手には、価格と品質ともに勝てません。ターゲットの選定やサービスの提供方法で突出することが求められます。

ここで例にとるのは結婚式です。いわゆる冠婚葬祭というものは文化ですが、途切れないマーケットのひとつだと考えています。
一般的に人生の一大イベントとして考えられるので、主催者側も独自性や費用対効果を吟味する傾向がありますし、
地域差もあるためターゲット選定次第では入り込める余地があります。
低価格という切り口ですと、専門学校生による結婚式、県民共済を利用したコスト削減など、時代の流れと一致してニーズを満たす例もあります。

日本のビジネスモデルの特徴として、海外発祥のビジネスモデルを「和訳」して、普段からIT方面の動向にアンテナを張っていないユーザをターゲットに提供するという形態があります。
これに対し、新しい技術を生み出せていないことに警鐘を鳴らす声もあります。しかし、歴史を振り返ってみると、模倣・和訳から始まって、品質を上げる努力を続けるうちに本家を超えた、というのが日本の特徴でもあります。
私が住む青森県では、「海外」が「都心」に置き換わります。ただ、これは息切れが早いことが多く、発起人が次から次へと新しいアイディアを生み、スクラップアンドビルドを続けられる気質と、スタッフとの信頼関係が必要不可欠です。これだと最初に述べた継続性はあまり望めません。

ニーズの発生源を見極める

結局のところ、人間を相手に商売をするならば、根源的な欲求から何らかのニーズが発生します。ビジネスモデルを考える時に大事なのは、その欲求がどういうルートを辿っているかを把握し、その間に立つことだと思います。
そして、その欲求がどういう感情から発生しているのかを把握することが大事です。中でも好意という感情は便乗しやすいもので、多くの集客効果をもたらす可能性があります。

人間の感情という切り口から分析する

ビジネスのヒントは、あまりに一般化して疑問を持っていない事象にこそあり、その事象の発生源を歴史ではなく、人の感情という切り口から分析することで、さらに市場価値が見えてくるだろうと考えています。
これは常習化しているものを見直す際のヒントにもなると思います。人は感情の生き物であり、感情は欲求と密接につながっています。中でも自身の意欲を増進する感情、他人を巻き込むことができる感情をビジネスモデルの要素と捉えてみると、何かアイディアが生まれるかもしれません。

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好意と義務の境目を垣間見るとき
2010.11 11

今年は自分にとって大きなイベントがありました。それは出産と結婚式です。 娘が誕生しました。育児と仕事の両立に追われる中で結婚式の準備もしました。結婚式というのは、立派なプロジェクトですね。しかも2回も行ったのですから尚更 […]

今年は自分にとって大きなイベントがありました。それは出産と結婚式です。

娘が誕生しました。育児と仕事の両立に追われる中で結婚式の準備もしました。結婚式というのは、立派なプロジェクトですね。しかも2回も行ったのですから尚更です。県外の方向けと、県内の方向けに分けたのです。

県外の方向けはご祝儀制、県内の片向けは会費制です。ご存じない方は「え?」と思うかもしれませんが、地域によって結婚式に参加するときに持って行くお金のルールが違います。
私が住んでいる地域では会費制が主流です。勝手な想像ですが、小さなコミュニティで顔見知りばかりのため、結婚式の参加は付き合い半分というのが根づいているのでしょう。毎回毎回、大金を出していては家計が危うくなりますし、かといって付き合いを疎かにしては顔が立ちません。田舎暮らしの人間にしか分からない感覚かもしれませんが、それも文化のひとつなのだと思います。

かといって、みんながみんな義務でお祝いしているわけではないのです。そこには昔からの付き合いだったり、大切な友人だったり、日頃からお世話になっている人だったり、「好意」としてのお祝いが間違いなくあります。
今回は結婚式を例に進めますが、そこに好意と義務が共存していることが自分にとって、非常に興味深いことでした。

参加者セグメントごとに好意と義務の割合は異なる

親族かどうか、付き合いが深いかどうかで、会費の他にご祝儀があったり、お祝いをいただいたりというケースが発生します。
結婚式は一見、好意を集めて成り立つ儀式のように見えて、義務が多くの割合を占めます。
風土や気質によりますが、親族は義務が背景にあり、金品という形で好意を還元する傾向があります。日頃から仕事でお世話になっている人は義務の割合がおおくなります。しかし、プライベートでの付き合いが深いと好意がそれを上回る傾向にあります。友人は好意の割合が非常に多くなります。これは社会的責任などがあまり発生しない間柄のためでしょう。

好意に祝儀・会費という義務を課す

好意は無償に見えます。しかし、結婚式というシチュエーションの場合、費用が発生するために祝儀・会費という義務を課します。それが大切な友人であってもです。
結婚式場やブライダルプランナー、お花屋、ケーキ屋といったビジネスと絡んでいくと費用が発生するのは当然です。言い方は悪いですが、好意と義務のすり替えが発生します。しかし、お祝い事なので、義務ではなく好意に見えるのだと思います。

好意を薄めずに義務を果たす

お祝い事とはいえ、冒頭にあるとおり、一大プロジェクトです。主催者側もやることは山積みで、祝ってもらうからには、それ相応の感謝を表したいと考えます。

主催者の意向にもよりますが、会費内で収めるか、会費を超えて日頃の感謝を表す意味で還元するかは分かれます。
人数が多くなってくると、人的負荷が高くなるため、如何に好意を薄めずに効率よく義務的作業をこなすかが大事です。例えば、メッセージカードを新郎新婦が直筆で全員に書く。というのは少人数なら辛くありません。ところが、田舎の結婚式は100人200人がざらです。

テンプレートを作って印刷すれば安上がりですし楽です。しかし、好意に対して義務的な返し方は悪印象です。そこで作業負荷を上げすぎずに好意を伝える方法に頭をひねることになります。
つまり好意を表すはずの作業が義務にすり替わる可能性を含んでいます。

好意と義務は表裏一体

好意と義務がいつの間にかすり替わるということは、表裏一体の関係なのだと思います。「せっかくのお祝い事ですから」というのはマジックワードで、商売側からすれば好意とお金をつなげるチャンスと言えますし、主催者側からすれば好意でもって義務を果たす原動力になります。参加者にとっては祝儀・会費といった金銭的義務を好意として解釈する理由になります。

費用が発生する仕組みである以上、義務はなくなりません。大事なのは義務を納得するだけの好意を各々が受け取れるようにすることなのだと思います。
各々が義務を十分に果たすと、顧客満足度、日頃の感謝、祝福などといった感情で好意が残ります。

ふと思ったことがあります。好意や善意という感情を集める仕組みは、ビジネスモデルとして重要な要素を多く含んでいるということです。次はその可能性について考えてみようと思います。

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人間にマルチタスクはできているのか?をiPad的UIで考えてみる
2010.03 08

4月下旬、iPadがいよいよ日本発売となります。iPadは様々な箇所で賛否両論を巻き起こていたようですが、その中で否定的な意見として言われたのが「シングルタスクだからダメ」というものです。おそらく、これは複数のアプリケー […]

4月下旬、iPadがいよいよ日本発売となります。iPadは様々な箇所で賛否両論を巻き起こていたようですが、その中で否定的な意見として言われたのが「シングルタスクだからダメ」というものです。おそらく、これは複数のアプリケーションを同時に起動しておきたいと言う意味だと思います。

コンピュータをマルチタスクで動かすのは当たり前になっていますが、人間がそもそもマルチタスクをできているんだろうか?という疑問が湧いたので、それについて思考実験をしたことをまとめてみました。iPhoneユーザなので、改めて各々の操作を振り返りつつ、iPadで行ったとしてどうなるだろう?と考えて行きます。

脳がそもそもマルチタスクなのか?という話を始めてしまうと、無意識や反射のことを考えなければならず、おそらく「よくわからない」と言う結論が大抵待っていると想像できるので、実際に動かしている部分がどうなっているかに焦点を当てて行きたいと思います。

追記 2010/03/08
Twitter上でマルチタスクの定義が不明確と意見がありました。ここでのマルチタスクの対象は後述しますが、目、耳、手のみとします。臓器や細胞まで考えると、話が拡散してしまうためです。また、目、耳、手を対象とするのも、アプリケーション操作において表層で主要となる部位であるためです。そこをつかさどる運動神経などには上記と同じ理由で深く言及しません。

人間のCPUは1つだと言う仮定

人間は1CPUをもったマルチタスク可能な動物で、訓練によってタスク切り替え速度をかなり向上させることができる。と私は仮定しています。よく両手でピアノが弾けるとか、ブラインドタッチができるというのが、同時進行で手が動いているように見えますが、ブラインドタッチについて言えば、指は逐次で動いています。これはキーボードでのインプット自体が逐次でないと受け付けていないからもでもありますが、同時押しも、指を逐次で押しています。それが相当な速度なため、できない人から見れば、同時に動かしているように見えています。

おもしろいのはブラインドタッチの「フリ」をしてみると、次に何を動かせば良いか意識しなくてもよくなるので、ほぼ同時に両指を誰でも動かすことができます。逆にいうと、意識が大きく影響していると言う表れです。ただ、先述の通り、意識と言うものではなく、可動部位を中心に考えます。

可動部位は重複させられない

例えばiPadというデバイスを前にしたとき、私たちが利用できる可動部位として思いつくのは、目、耳、手になると思います。まずそれぞれの部位について同時進行のように見せられる組み合わせを考えてみます。

目 + 耳

動画再生をしている時などが考えられるます。説明字幕が出ている間にナレーションが進んでいたりすると、聞き漏らし、見落としが発生する場合があります。逐次で目と耳を切り替えながら、字幕とナレーションを交互に認識していると考えられます。

目 + 手

ホームでアプリケーションを選択している時や、写真をフリップしながら見ている時などが考えられます。まず目で操作対象を決め、実行するために必要な手順に沿って手を動かして行きます。扱っている情報の性質にはよると思いますが、目で始まって手で実行と言う逐次処理を求められます。

耳 + 手

キー入力をしている時に、入力音をONにしているとします。カチッという入力音が聞こえたことで、正確に入力されたと判断して、次の入力をおこなうと言う動作が可能です。目での判断も間違いなく入っているのですが、耳から手、手から耳と言う逐次処理を行っていると考えられます。

可動部位には主従関係と優先度が発生している

どのパターンにも言えることは、主となる可動部位があり、その実行結果に従って次の可動部位が連動していると捉えられます。目がほとんどの場合、主となっているはずです。目が使えない暗闇は耳に、音が特にない場合は手でなど、状況に合わせて優先度が変わっていきます。

iPadに関しては視覚が必須のデバイスなので、目で対象を捉えるというのがトリガーになると考えられます。

ここから2つある可動部位を重複として考えます。

目 + 目

目が2つあることで焦点合わせなどを行っており、同時に違うものを見るというのはできていません。視野の端にとらえると言うことはできますが、そのものを具体的には捉えられていません。焦点を移して行くことになるので、実質は逐次処理であると思います。

耳 + 耳

反射した音などを両側から捉えるというここと、どちらの耳から聞こえるかで方向の特定などができています。おそらく同時に聞こえているというのは成立していると思いますが、同じ方向から来る音を一緒に聞いているかというと、それはできていないはずです。片方からの音をまず捉え、頭の中の振動が反対側に伝わるか、反射した音がもう一方に遅れて入ってくるかでしょう。

手 + 手

厳密には指と言うサブシステムで考えるべきですが、両手で操作する場合は、フルキーボード入力が考えられます。これは冒頭に述べた通り、実際は逐次入力となります。また、指を2本以上同時に押す場合、それぞれが完全に独立して動くことはなく、例えば画像の拡大であれば、画面の中央から外側へと同じ方向へ動かしています。他の操作もそうです。

マルチタスクはできそうだが、独立した同時処理はどうなのか?

これまでの内容から、人間はマルチタスクが可能だと考えられそうです。ここで一歩進めて、同時に複数のアプリケーションが起動できるとして、独立した状態で使いこなせるのか?と考えてみます。目、耳、手は2つあるので同時に動かすことはできますが、独立して動かすのは困難だと言うことです。

しかし、ここでそもそもの前提として足りないものがあると思いました。それはデバイス側、つまりコンピューターそのものが逐次処理のため、同時入力は受け付けていないと言うことです。2画面や複数アプリケーションという状況はあっても、フォーカス、つまりターゲットをまず決めるという処理が必要な以上、やはりコンピューター側の都合で同時入力はさせてもらえません。

GUIであれば、フォーカスによって1つずつですし、CUIだとキーボード自体は同時入力できますが、内部での解釈は逐次処理になっています。実は人間の行動様式や可動部位を考慮してデザインされていると言われるデバイスも、コンピューター側の逐次処理という制約ありきということになります。

それを考えると、複数のアプリケーションが同時に動くと言うよりは、同時に起動しているのと変わらないぐらい切り替えのストレスがないか、そう見せるインターフェースがあれば今は十分だろうと私は思います。

そういう意味では、メニューとアクティブなアプリケーションが常時表示され、アプリケーションの切り替えも兼ねるWindows7のタスクバーは、かなり秀逸なデザインだと思います。実際、そのおかげでWindows用のDockが不要になりました。

どのI/Oをどこまで独立させていけば良いのか?

ピアノは鍵盤1つ1つが独立したI/Oですし、パーカッションもそうです。しかし、音としては独立していても、人間に取っては和音と言う結果を得ることができます。コンピュータのI/O、それらを総合したUIを考える場合、どこまでの単位で独立させると良いのか?ということについて再考が必要だろうと思います。

マルチプロセッサが普及してきていますが、メモリ管理も含めて完全に独立処理というのは、できるできないがあります。演算と描画を独立させることでパフォーマンスが上がったように、同時処理ができるということは入力方式から再デザインされる必要があるのではと今は考えています。

今回の思考実験は浅い考察だと思うので、I/Oを独立させる単位を考えなおすと言う方向で、また、まとめてみたいと思います。

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操作フィーリングを構成する3つの要素
2010.02 12

自覚的デザインシリーズで継続しているデザインプロセスの言語化について、ルック&フィールのうち、特にフィールについて思うところがあった。自分向けのメモを兼ねて残す。 車両用の信号は点滅した方が安全ではないのか? そ […]

自覚的デザインシリーズで継続しているデザインプロセスの言語化について、ルック&フィールのうち、特にフィールについて思うところがあった。自分向けのメモを兼ねて残す。

車両用の信号は点滅した方が安全ではないのか?

そもそも、車を運転している時に困ることが1つある。青信号から黄色の信号に変わるタイミングが分かりにくいということだ。自分の視野に青信号が入ってから、自分が通り過ぎるまでに黄色に変わるかもしれないという予測は以下の要素から成り立っている。

  1. 信号に近づくまでの経過時間
  2. 現在の走行速度
  3. 道路状態(雪が降っていると特に余裕を持たなくてはならない)
  4. 歩行者用の信号の状態

ここで最も簡単に気づくのは、周辺の歩行者用の信号が点滅しているかどうかである。すでに点滅が始まっており、通過するはずの信号までの距離が遠いのであれば減速を始める。これは歩行者用の信号が赤色に変わって間もなく、車両用の信号は黄色になるからだ。

しかし、歩行者用の信号が常にあるとは限らない。であれば、車両用の信号自体、色が変わる前に点滅した方が、突然の急ブレーキとなる確率は下がるのではないか?赤か青に変わるときに点滅すると、フライングスタートする人がいそうで、危険な気もするが。

前置きはともかく、操作フィーリングについて上記の話から、「予兆」「経過」「完了」3つの要素に分けられると仮定した。しかし、能動なのか受動なのかで内容が多少変わってくる。

能動の場合

予兆
自分の意志でアクションを起こそうとしているので、その時点で不要。ルックとしてはアクションのトリガーだと認識できる状態にしておくのが好ましい。
経過
自分が起こしたアクションについて、正常に対象が作動して進行していることを示す。ローディング画面や拡大・縮小などの途中経過を表わすフィール。自分が今どこの段階にいるかを表示するナビゲーションも同様の意義を持つ。 長い時間を要するものほど、注意をはらうべき。瞬時に終わる場合は、むしろ不要だろう。
完了
アクションが終了したことを示す。ポップアップ通知や画面遷移など、それぞれの動作後に正常に終わったのか、異常があったのかを明示的に示す必要がある。特に異常時には再試行についての説明、導線が必要。どこの箇所に異常があったか表示、やり直しへの導くリンクなど。

受動の場合

予兆
考える時間、次のアクションに入るまでの猶予を与える。次のアクションまでに残されている時間、注意書きなどによる告知。ポップアップなどの通知は基本、突発的に発生るものだが、最初の段階でどういった周期で通知されるのかなどが把握できていれば、なお良い。
経過
予定された処理が進んでいるという安心を与えるもの。インジケーターなどは能動の場合と同じであるが、受動の場合はそれ自体を意識からはずすことを期待しているので、経過を見せないでおくのも一つの手。
完了
これについては能動と同じが良いと思われる。ただ、経過を見えなくしていた場合、経過中に何が起きていたのかを詳細に知るすべを残しておく必要性はより高い。ログの表示や閲覧の方法など。ログがあると、情報のギャップを早期に埋めることができる。

見直してみると、ソフトウェア設計の基礎とも言うべき内容が多分に盛り込まれている。情報過多になりがちな現代人にとって「気づかずに流れる」という状況が増え、確保出来る時間が細切れのため、即効性のある結果を求めている。

流れては困る情報や自分の行動の結果がどうだったかを適切に通知する設計がされているものは、「解りやすい」という評価を得られていると思う。

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個人力を高める6つのメソッド WDHA #022 New Year Special
2010.02 08

今年最初のWDHAは森田雄さんをゲストに迎え、特別版として開催されました。地元からの対バンという形で指名を受け、僭越ながらスピーカーを担当です。 事前に、チームマネジメントに関する内容を森田さんは発表するつもりだと伺い、 […]

今年最初のWDHAは森田雄さんをゲストに迎え、特別版として開催されました。地元からの対バンという形で指名を受け、僭越ながらスピーカーを担当です。

事前に、チームマネジメントに関する内容を森田さんは発表するつもりだと伺い、であれば新年1発目だし、個人事業主として活動してきた経験の棚卸しにしようと考え、タイトルの内容としました。

個人というより、私の場合はクライアントとの折衝から開発・保守までを一通りこなすことになりますし、そのような関わり方を自分のスタイルとしています。会社員として働いた時期もありますが、独立してからは特に環境の違いを比較できるようになりました。その上で自分なりの思考法であったり、行動指針を6つにまとめてみたのが今回の内容です。

これといって目から鱗のような話ではないと思いますが、聞きに来てくれた人たちが、明日から前向きな気持ちで働くことができるようにというテーマで内容を練りました。

見方を変えて考える

これから登場するメソッドのベースとなる行動指針です。問題をソフトウェアで解決するというのが私の主な仕事ですが、そのアプローチは千差万別で、これが正解というのは常にありません。つまり一方向からだけ問題を見ていても、選択肢は少なく、より良い方法に気づかずに終わります。自身の視点を変え、仮想的に立場を入れ替えて想像する力というのは、様々な場所で役立ちます。

浅く広く学ぶ

以前、専門と専業は違うというテーマについて書きました。
おそらく職人芸というものに憧れる人は多いと思うのですが、一朝一夕でその領域に辿りつけるわけではありません。何かを深めるという過程に置いて、成長を実感できない、思うように習得できないという行き詰まりを感じることがあると思います。その時に必要なのは、周辺知識の習得、基礎知識の見直しなどによる地盤固めです。

ひとつの穴を掘り続けると、いずれ掘り返した土が自分に降り注ぎます。深く掘り進むためには、掘り返した土をよけておく広いスペースが必要です。

手を動かし続ける

頭で解っているつもりでも、実地では予想と違う結果というのはよくあるケースです。来るべき時に備え、ほんの少しでも自分の手で動かす、作るという行為を続けることは、大きなリターンと発想につながります。

そして、手を動かして学んだものは、不思議と忘れません。特にものづくりの現場に置いて、管理職であろうが、社長であろうが、良し悪しを判断して実行するためには、自分の手で確認するという行為なくして最適解は選べないと思います。

過去を現在へつなげる

過去は財産です。もしあなたに過去の失敗があったとして、後悔したまま、失敗の状態で放置しているのであれば、それが失敗です。 過去は取り返せませんが、どこかで役立てよう、活かそうと頭の片隅に とどめておけば、日の目をみる時が来るでしょう。

そのためには、過去の経験を定期的に振り返り、教訓を現在へ適用するというのは効果があります。過去あっての現在であり、過去を分析し、現在できることを積み重ねることで将来につながると考えれば、過去の失敗も見つめ直しやすくなると思います。

風通しを良くする

似た境遇の人間に仲間意識を持ち、そこからできるコミュニティは様々な活力を与えてくれます。しかし、新しいアイディアや発見が生まれるのは、自分が日々過ごす領域の外と交わる時ということがよくあります。

自分と違う業種の人との交流や、違う発想や視点を持った人の考えや意見は宝の山です。そういった機会を大事にし、積極的に取り入れ、歩み寄ることは後々の発展につながります。

パートナーになる

個人に焦点をあてようとするほど、その背景には多くの人との関わりが見えてきます。分かりやすい例で言えばクライアントになります。 契約の主従関係は現実問題ありますが、それでもパートナーのように振舞うというのが良好な結果を残すために肝要だと思います。 アドバイザーであり、実現者であり、片腕であり。そういった人が、今、求められている人材像だと感じています。

どれかできれば良いというものでもなく、6つのメソッドはそれぞれが相互関係にあると 自分では実感しています。この先、新たにメソッドが追加されるのか、何かに集約されるのか、それはわかりませんが、しばらくはこの行動指針で活動して行くと思います。

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CSS Nite in Aomori 2009 で発表してきました
2009.04 30

まずは皆様お疲れさまでした。恒例のイベントとなってきましたが、まさか自分が発表することになると思っていなかったので、貴重な機会をいただいて感謝しています。 使ったスライドとか Ruby on JavaScript Vie […]

まずは皆様お疲れさまでした。恒例のイベントとなってきましたが、まさか自分が発表することになると思っていなかったので、貴重な機会をいただいて感謝しています。

使ったスライドとか

雑感

今更ながらJSRubyを使ってみたんだけどという内容だったのですが、みんなでRuby勉強会@青森に来てみませんか?という前フリでした。HotRubyに興味をもっております。

というのも前フリで、本題は異業種交流をもっとしましょうというのが言いたいことでした。業務知識でも何でもいいので、様々な知識や情報を交換、共有したいというのが切にあります。Give & Takeでそれぞれのビジネスに活かして行きたいと思っています。楽しんで仕事ができるというか、仕事すら道楽にできたら最高だよねと思っています。

そもそも、CSS Niteは敷居をさげて多様な方々にWEBの世界やそこで活躍している人の様子を伝える場と捉えているので、変なことやってる奴がいるなと思ってもらいたいと考えました。「おもしろい」というモチベーションは大事だという裏テーマが伝わるとなお嬉しいですね。

他に思ったことは、アクセシビリティという言葉が現れて久しい中、実際に音声ブラウザなどを利用してOS操作から何から実演で見ることができたのは非常に参考になりました。それを掘り下げて、考察をまた書いて行きたいと考えています。

今後について

とりあえず、交流会にそういう自分が足を運べない時期もあったので、もっとアクティブにしていこうと画策中です。初心者向けにという状況が多かったのですが、それによって基礎固めの機会に恵まれたことが資産になりました。次は自分が突き抜けて行くターンですかね。
今年はただ作るというのではなくて「クライアントが本当に欲しいもの」について精度を上げて行く取り組みを考えたいというのがテーマです。個人だと形式化が弱いので、そこらを重点的に。

目的の共有、要求の精査というものについてヒューマンスキル任せになりがちな反省が有るので、その視覚化とツール化に取り組んでいこうかなと。今のところはクライアントと直接交渉できる場合に限りですけど。そういうフィードバックを勉強会でも発信できたらと思います。

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自覚的デザインを目指す その3
2008.08 14

別にこのシリーズを忘れていたわけではなくてですね。言い訳不要ですね。再開します。 予告としてデファクトについて考えるとしました。これは事実上の標準を示す「デファクトスタンダード」のことです。これをWEBにおけるリンクを中 […]

別にこのシリーズを忘れていたわけではなくてですね。言い訳不要ですね。再開します。
予告としてデファクトについて考えるとしました。これは事実上の標準を示す「デファクトスタンダード」のことです。これをWEBにおけるリンクを中心に考えてみます。

  • デファクトを破るのはミスリードのリスクあり
  • 思考の流れとUIを一致させることが重要
  • 一部の色やアニメーションといった視覚効果もフィールとして考える

デファクトの色を採用する必要はない

ブラウザにおいて、リンクのデファクトは大ざっぱに分けると2つでしょう。

未訪問
リンク色:青 テキスト装飾:下線あり
訪問済
リンク色:赤紫 テキスト装飾:下線あり

白地に黒のテキスト、そして上記のようなリンク色がデファクトです。なぜこの色が採用されたのかを知らず、調べたところ情報が見つからず。ならば色彩学かなと思って、その手の本を読んでいる所です。
それはともかく、まずは2つの側面からリンク色というのを考えることができます。1つ目は、見なれたものであることです。およそ、インターネット利用者が最も目にする配色がこれという説明に尽きると思います。2つ目は、白地に黒という配色では、青が浮いて見えて、赤紫が沈んで見えるということです。ここが色彩の問題で、自分では明らかにできていないところですが。

大事なのは、未訪問がテキストの中で目立ち、訪問済が目立たなくなることです。また、そのリンク色の割合によって、自分がどこまでこのリンク群を消化したのかという目安にもなります。これを踏まえれば、リンク色はデファクトのままである必要はなく、「目立っているか、そうでないか」で決定すればよいと考えられます。

リンク以外で下線を使うのはミスリード誘発

問題は下線です。ワープロの世界だと下線とは注目するポイントを示唆するものとして扱われます。ですが、WEBで同じように使ってしまうとミスリードを誘発します。リンクのデファクトを踏まえると、下線がある場合にリンクであると想起させてしまいます。ホバーさせた際に下線が出るのも同じように捉えられると思います。

リンクしないテキストに下線は使わないと割り切ってしまう方が得策です。要は慣れとルック・アンド・フィール(以下、LnF)の問題です。リンクの色と装飾ひとつをとっても、扱いを間違えればLnFの特にフィールを大きく損ねることになります。

非テキストリンクは押せるルックを

非テキストのリンクはどういった形状をとるべきか?という話になると、ボタンがいいと言われます。何故か?と問うと、「押せると思うから」という返答がきます。私はこれについて本質ではないと考えています。なぜなら、WEBデザインの世界だけを見ても、グローバルメニューはボタン(大概はトグル)になっていないものも多いからです。

リンクという視点で考えた場合、テキストリンクを「クリック」することでリンク先のページを表示するというアクションが発生します。しかし、テキストリンク自体はボタンの形状をしているわけではありません。つまりボタンの形状をしていなくとも、「押せる」と思うわけです。これはデファクトであるからこそ、できることでもあります。では、リンクの形状を問わず共通するものは何か?「押せると思わせるルックである」ことです。

テキストであれば、浮いて見える配色で下線を、非テキストであれば押せると想起させる形状なり、注釈などを。ボタンというのは、あくまで押せると思わせる形状の代表的な存在であって、実装手段の1つに過ぎません。
あくまでこれは、前回で触れた「予測できる=解りやすい」を踏襲しています。すると、リンクのルックとリンク先の内容が一致していることなど、芋づるで押さえるべきポイントが決まってきます。なおかつ、LnFにおけるフィールまで考慮することで、「予測した通りに動く=使いやすいと感じる」にユーザを導くことになります。これが思考の流れとUIの一致と言えます。

エフェクトをフィールとして使う

WEB上ではJavascriptによるエフェクトの多用がよく見受けられます。いわゆるDHTMLなわけですが、そのエフェクトをどれだけ有効活用されているかと考えると、個人的には疑問に感じる点が多いです。
エフェクトはルックなのか、フィールなのかと問われると、私はフィールと考えています。フィールとして使われるエフェクトというのは、画面上で発生した事象をユーザに通知することです。

例えば、WindowsとMac両方で共通のUIで考えると、ウィンドウの最小化です。デフォルトの設定ですと、Windowsの場合は、縮小化されたタスクトレイ上のパーツに向かって、ウィンドウが徐々に縮小(およそ0.5秒?)されていきます。Mac(OSX Leopardとします)だとジニーエフェクトを利用しつつ、ドック上の格納位置に向かって吸い込まれるように(およそ1秒~1.5秒?)ウィンドウが消えます。どちらも縮小化というアクションに対して、エフェクトを適用することで、ユーザにウィンドウが縮小化され、どこに格納されたかを通知するというフィールを生み出しています。ロード時間中のインジケータ、画面切り替え時の切り替え先のポップアップ、私はこれらが正しいエフェクトの活用法だと思います。

エフェクトを認識する時間はどれぐらいか?

エフェクトと一口に言ってしまっても、様々ありますが、ここのところ気になっているのは、2Dエフェクトと3Dエフェクトについてです。特にKeynoteでエフェクトを適用していると、2Dエフェクトで程よいと感じる動作時間、3Dエフェクトで程よいと感じる動作時間に差があります。

仮説としては、2Dエフェクトは0.5秒以上、1秒以下、3Dエフェクトは1秒以上、2秒以下がしきい値と考えています。といっても、それぞれのエフェクトにさらに細かく種別があるので、もう少し解析が必要とは思っています。ここは、人間の視覚の根本である、情報認知の世界だと思うので長い道のりになる気がしています。

とりあえず、次回についてはエフェクトの認知時間、もしくは時間軸による情報認知について、掘り下げてみようと考えています。

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サムネイルの意義を考え直す
2008.07 18

つい今朝のことですが、プロジェクトメンバーから興味深い問題提起を受けたので、それについて書こうと思います。私は彼の視点や思考方法をすごく尊敬していて、彼との出会いによって多様性への理解や発想の転換力が豊かになったと思いま […]

つい今朝のことですが、プロジェクトメンバーから興味深い問題提起を受けたので、それについて書こうと思います。私は彼の視点や思考方法をすごく尊敬していて、彼との出会いによって多様性への理解や発想の転換力が豊かになったと思います。

  • 新聞の見出しの狙いはカクテルパーティー効果
  • サムネイル=本の背表紙
  • デザインコストをかけるべき場所にずれがある

そもそもの話は、画像ビュアーを個人的にプロジェクトメンバーが作成し始めたことがきっかけでした。私も彼も、業務システム屋の出身なので、画面としてのUIというものに、自分なりのこだわりがあります。それゆえに、WEBデザインの案件をこなす傍ら、UIについて突き詰めて考えようと意見交換をすることがよくあります。

2人の中では、およそUI設計における指針は共有されており、そもそものとらえ方も似ていました。結果的に、視線移動にとどまらず、人の情報認知という事象について、裏付けを取ろうと調べだすのは当然の流れだったのかもしれません。

視覚にもカクテルパーティー効果がある

カクテルパーティー効果が視覚にも存在し、その誘導を行っているのが新聞でいう見出しのことらしいという話を受け、自分の中で腑に落ちた点が多々あります。

新聞のUIは独特で、以前のエントリでも触れている逆NとZの視線移動が混在しているにも関わらず、なぜか読み進めることができます。慣れという点を差し引いても、記事が目に入ってくるのは見出しのおかげだと思っていました。

全体を俯瞰した状態で、人はおそらく新聞の内容はほぼ見えていないと思われます。人間の目の精度はそこまで良いものではありません。乱暴に言えば、カメラレンズなので焦点の合っていない場所は、情報の内容まで認識できるレベルではないということです。

つまり、カクテルパーティー効果と同様で、見出しによって注視して初めて周辺の情報がどういった構造なのかを認識しだすと考えることができます。さらに言えば、注視が始まると、それまでの視線移動のリズムや方向などを無視していようが、人間の思考が現在のルールに合わせだすということです。

タイルは画像検索に最適なUIではない

Windowsエクスプローラでも、Macファインダーでも、ショッピングサイトの商品画像一覧でも何でもよいのですが、サムネイルがZ方向に並べられている状態を私はタイルと呼んでいます。

多数のサムネイルが存在する中から、目的の画像を視覚で探すのは困難を極めます。そのためにタグをつけて管理したりと様々な手法があるのですが、すべての画像にタグをつけて管理できる整理上手で勤勉な人間がどれほどいるというのでしょう?
結局のところ、タグ管理というよりフォークソノミーの課題そのままなのですが、画像を保存して閲覧するという過程において自動的に割り振られる情報は保存日などの時間しかありません。ファイル名は任意ですし、重複しないファイル名を望むのであれば(これは極端な思考とは思いますが)MD5で自動生成したファイル名にでもしてしまいたいところです。

実際、Googleが提供するPicasaは保存日を基準にしてグルーピングする手法をデフォルトとしており、そこからユーザが任意のルールで整理を始めるという流れを促しています。
グルーピングはソートと言い換えても同じです。ファイル名の五十音順なり、保存日の降順などでソートしない限り、同じ大きさの画像が並んだとして、視覚だけではとても探せたものではないということです。
実際にやってみるとわかります。1つ1つ丁寧に探していくと、時間がかかりすぎてうんざりし、どんどん飛ばし読みしていくようになります。

サムネイル=縮小画像は誤解

本屋にいるとします。目的の本があり、その表紙やタイトル、著者、出版社がわかっているとします。どうやって目的の本を探し出しますか?店内の本棚のどこかにあり、店員に聞いたり、検索端末などは利用しません。
おそらく、出版社で本棚を特定し、著者が有名であれば著者で棚を特定し、そこからは背表紙か表紙で視覚による検索を始めます。平積みされない限りは、背表紙を見ていくことになるでしょう。

つまり背表紙で探している状態がサムネイルで探している状態です。目的の本を見つけたとして、表紙を確認し、中身をざっとみる。これが商品詳細のページを見るのと等価の行動となります。

では、背表紙をよく見てみます。縮小画像としてのサムネイルと決定的に違うのは、背表紙は専用のデザインとして作られていることです。文字組、フォント、文字サイズ、配色と様々な要素を駆使して、背表紙という立ち位置から本を表現しています。つまり相当のデザインコストが背表紙1つに払われていると考えます。ここはカバーデザインをされている方やDTP畑の方に何とかしてその実態を聞いてみたいところではあります。

詰まる所、サムネイルは縮小画像として自動生成される程度の代物ではないということです。なぜならば、カバーデザイン1つで本の売れ行きも変わるという事実があるからです。
さらに付け加えると、画像1つ1つの内容は千差万別です。サムネイルを生成するにしても、その画像を簡略化した表示とするために、適切な構図なり、文字による情報の付加が必要となるはずです。それはすでに自動化不可能な話で、それこそ画像認識の話になってしまいます。
内容が異なる情報に対して、等価な情報加工(同じ倍率での画像縮小のみ)を行うことで、かえって視認性を低下させ、情報としての価値を下げている、もしくは失くしていると考えられます。

サムネイルにもデザインコストの明確化を

現実的な話に戻すと、最適なサムネイルを生成する画像認識機能付きアップローダを作るのと、1つ1つサムネイルをデザインするのと、どちらが適切か?という話になります。ここでの適切というのは、用意できる資金に現実的に収まるか?という意味で考えています。
私は1つ1つ手でデザインする方が適切だと思います。なぜなら自動化には限界があります。そして、人が分かりやすい、美しいと感じる理由を解明できて、かつ標準化できない限り現実的な精度と品質は得られませんし、そこまで行くには一生涯を費やす覚悟が必要でしょう。実際、専業として開発されている企業や団体があるのがその証拠です。

具体的な話をします。商品データのアップロードを行うと、通常は画像のアップロードに伴ってサムネイルを縮小画像として自動生成というのが一般的なパターンでしょう。しかし、これが間違いなのだとあえて言います。
例えば、静的ページを作成して何らかの施設概要や内部について紹介するページを作成したのであれば、カメラマンを用意するだけでなく、撮影結果を加工して画像を用意すると思います。

それがショッピングサイトのような多数となると、途端に自動生成で縮小した画像のみとなります。そこに対しての理由がおそらくコストと言う人がほとんどですが、それはコストではなく「面倒だから」が本音だと思います。手間を重視するのではなく、デザイナであるならば、サムネイルを1つ1つ作ることへのコストとメリットを明確化し、対価を得るようにクライアントと検討する方が健全だと思います。

どれだけ膨大な商材をもつショッピングサイトでも、1件1件のデータ登録と画像アップロードという「手間」をさけて通ることはできません。その手間に「費用としてのコスト」が発生しているのです。

かといって1枚いくらなんていう、どんぶり勘定でいきなりクライアントに提示するのは間違いです。ページ内容を踏まえ、それに対する画像数やその品質とデザインコスト、製作期間まで含めて価格を出し、それをならすと1枚いくらです。という所まで説明して合意をとっているか?というのが肝心です。

ただ理想論を言っているつもりはありません。経験則からの裏付けがあり、自動化によるコストダウンが価格競争という消耗を産み、さらにはデザイナの価値の低下、デザインの品質低下を招くという危惧も含まれています。

啓蒙の意味も含めて、デザインへの対価を考えて商売する方がデザイナも納得できると思うのです。
そこまで徹底してこそ、デザイナに価値が発生するのだと思うのです。

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変化し続けるという安定
2008.07 16

このところ、インプットモードになっていましたが、そろそろアウトプットで整理していきたいと思います。インプットした内容は、主に技術ではなく生き方が中心でした。が、自分にとってはデザインやビジネスチャンスにつながるヒントばか […]

このところ、インプットモードになっていましたが、そろそろアウトプットで整理していきたいと思います。インプットした内容は、主に技術ではなく生き方が中心でした。が、自分にとってはデザインやビジネスチャンスにつながるヒントばかりだったので、それを少しずつまとめていきたいと思います。

  • 個人によって安定と変化の定義が違う
  • 変化し続けることが安定と感じる人種がいる
  • 変化するにはぶれない軸が必要

安定とはそもそも何か?

ここ最近は、技術の勉強というよりは、人との交流を通じて人を知り、分析するという機会に恵まれていました。自分が考える展望があり、その裏付けを取るために、とにかく人と話すという時間を設けていました。

その中で、「安定」という言葉が常につきまといます。精神の安定、肉体の安定、様々ありますが今もって直面しているのは環境の安定を望む人がそこかしこにいるということです。青森は公務員が多い土地ですから、なおさら感じることではありますが、恒久的に変わらない環境、常に同じことの繰り返しによって続く日常を安定と考える人が多いようです。むしろ、それが一般的だろうと思います。

しかし、新しい知識や技術を望んで、飛びついて行く性分の人間(つまり自分)からすると、上記の安定は「停滞」と捉えます。どちらが良いか悪いかという話ではありません。すみ分けであり、割りきりであると考えています。
そして、安定の定義によって、変化が正の影響なのか、負の影響かが大きく分かれていきます。

キャズムの理論を人の生き方に適用する

ここのところ、パタンランゲージとしてのマーケティング理論に興味があり、キャズムを読んでいます。キャズムでは新たなテクノロジーに対する購買層をいくつかに分類していますが、これは人の生活様式をハイテクマーケティングという視点からとらえた理論だと私は思いました。

おそらく、技術者という職を選び、その中で自ら何かを生産しようと行動していくと、自然と環境の変化を観察し、その変化を自分の中に受け入れようという思考が働き出します。それは、新しい要素技術の習得であったり、勉強会への参加であったり、ブログでの発信だったり、手法は様々だと思います。

結果、「今日の自分は、昨日の自分とは違う」ことを実感していきます。これが私にとっての変化です。時代とともに価値観が多様化し、昨日までの常識がくつがえされるという事態が、技術の世界以外でも断続的に発生していることを目の当たりにするにつれ、その状況に対応できるか否かが真価であると、自分の価値観が構築されていく感覚がありました。

対応し、変化し続けているという事実の維持が、私にとっての安定なのだと強く思うようになってきています。それが上昇なのか下降なのかはわかりませんが、前進しているということに疑いはありません。

慣れるのは武器

だからといって、もう自分は大丈夫だとか、この先を食っていけるなんていう気分にはさらさらなれません。明日の自分を保証するものは何もなく、私にとって保証されているのは、明日の自分を保証するのは自分しかいないという事実だけです。

ですが、人間とは素晴らしい生き物で、その不安にすら慣れていき、受け入れることができるようです。システムのUI設計においてもそうです。初心者が新たなUIに慣れていき中級者となることで、次の不満なり、新しい発見がでてきます。それらに解答を出すために、また機能追加や再設計、修正といった何らかの行動を起こします。

同じサイクルが人の生活様式にも起こりうるということなのでしょう。
このサイクルを少しずつ大きくしたり、加速させていくことが成長という変化であると思います。

別に新しい話でも何でもありませんし、今更の内容ではあります。しかし、このサイクルを体現できているということ、サイクルの成長に必要なものは何かを自覚していることこそが大事だと考えています。

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自覚的デザインを目指す その2
2008.06 19

前回のエントリではModelからViewへの写像と、視線誘導における前提知識みたいなことをまとめてみました。今回は、視線誘導の形にどういった種類があるか考えてみようと思います。また、分析に加えてUIとして個人的に思うとこ […]

前回のエントリではModelからViewへの写像と、視線誘導における前提知識みたいなことをまとめてみました。今回は、視線誘導の形にどういった種類があるか考えてみようと思います。また、分析に加えてUIとして個人的に思うところも書いていきたいと思います。

  • 視線はZ、N、L、ランダムとリンクの組み合わせで構成される
  • 視線移動のヒントを視界の一部に捉えさせる工夫が必要
  • 視線の開始位置を基点に次を予測できるようにレイアウトを決めて行く

始点が左上か右上かで視線の方向は決まる

まず、ごく基本的な視線の動きを考えてみます。文章で考える場合、文章は文字列という1次元のModelです。それを最大の横幅が決まっている領域を持つViewに対して写像すると、「折り返し」が発生します。つまりX軸とY軸の2次元への写像となります。これを考慮して代表的な形式を考えてみます。

欧文(横書き)
Zの動き。左から右に向かって進み、折り返した後に、上から下に向かって文章の最後まで左から右に進む動きを繰り返す。
邦文(縦書き)
Nの動き。上から下に向かって進み、折り返した後に、左から右に向かって文章の最後まで上から下に進む動きを繰り返す。
折り込みチラシ
ランダムに視線を移動する。各情報の優先順位や重み付けがあまり無いので、どこから見始めても良いし、次に見る場所が制限されていない。
Windowsエクスローラ
Lもしくは逆Lの動き。任意の列を上から下に向かって進み、目的の情報が見つかるか、関連があると思われる情報の位置に来た所で、左右どちらかの方向へ動く。

基本の動きを組み合わせてみる

では、上記のようなパターンを組み合わせてみます。個人的にUIが優れていると思っている実例をあげます。分析してて自分で思ったのは、新聞というUIは非常によく考えられているということでした。以後、逆Nという言葉が出てきますが、これはNを左右反転させたものを意味します。

新聞
Z + N + ランダムの動き。遠目から見ると、ランダムに記事が配置されているように見えるが、基本は右上からNの動きとなる。しかし、見出しの強調によって、ランダムに視線を動かすことがほとんど。
その代わり、見出し周辺の文章を縦書き、もしくは横書きでブロックになるよう構成し、見出しにフォーカスした後にどう読み進めるべきか誘導している。
wikipedia
逆N + Z + リンクの動き。左上を始点として、基本はZの動き。ただし、左側にグローバルメニューとなるサイドバーがあるため、逆Nの視線移動となる。装飾は最小限に抑えられ、リンク色もデフォルトのままとしているので、予想外の動きがなく違和感無く読み進めることができる。
iTunesのグループ表示
逆N + Z + L + ジャンプの動き。かなり複雑な組み合わせだが、あくまで基本の視線移動の組み合わせ。サイドメニューから任意のプレイリストや項目を選択した後に、右側の一覧へ逆Nの動き。次にブラウズをZの動きで見ながら絞り込み。検索結果に対し、アートワークを基準に縦方向に探すLの動き、もしくはすでにアルバムまで特定している場合には、楽曲一覧に対してZまたはLの動きで見て行く。
また、希望の情報が見つからない場合には、Finderに向かって一気に視線をジャンプさせる。これはFinderが検索結果を変化させることができるという前提の植え付けによって行われる。

サイドメニューは左なのか?右なのか?

図で説明すれば簡単なんですが、あえて言葉にしています。疲れます。でも自分にとっては文章にするのが大事なんです。続けます。
さて、上記の実例のうち、wikipediaとiTunesに共通していることがあります。それはサイドメニューの位置が両方とも左であるということです。
いつからか、WEBの世界では右にグローバルメニューという考え方がでていました。個人的には違和感があります。結論としてはケースバイケースですが、情報の優先度や流れを自覚できているかどうかが大事と考えています。

頻繁に使われるものは、視線移動の開始位置が左上であれば、やはり左から始まる方が自然と考えます。加えて、ユーザが利用する機能の流れと一致していることが大事です。WEB以外で考えた場合、Visual Studioの画面作成モードでは、まずコントロールを選択する場所が左。実際に配置する画面が中央、そして配置したコントロールに対するプロパティは右と処理の流れにそっています。

逆に疑問を持つ例として私が真っ先にあげるのはブログの3カラムと右側にグローバルメニューを配置した場合です。ブログに関してはここのところ、3カラムでメインが左で右2カラムに残りをというレイアウトも見られます。これらについては、そのコンテンツの特性を考えれば答えは出せると思います。

ブログはその特性として、「トップに最新」「ユーザは最新の記事を基本的に追う」という2点があると思います。そうすると、真っ先に見たい情報はトップにあります。そしてZの動きで文章を読むとすれば、ブログの記事自体は左というのが自然と思います。その反対におくのは、記事よりも優先度の低いもの、もしくは記事を読んだ後に進むべきものとします。

ユーザを大きくリピータと初見に分けるなら、リピータにとっては視線移動の開始位置に記事があるというのは余計な視線移動がなく好都合と考えてくれると思います。初見については、Googleから検索してたどり着くか、リンクをたどってきたとして、他の記事も読みたいと思ったときに初めて、今見ている記事以外のコンテンツについて視線を移動すると思います。その場合、右にメニューがあるのはZの動きで考えると自然に動かせるでしょう。
ただし、スクロールによってサイドメニューが見えなくなっている場合には、逆Nの動きで画面ごと上部に戻って、右へ視線を動かす事になります。それを考えると、記事を読み終わった時にフッタで他の記事への誘導を見せるというのも余計な視線移動がなく、自然だと思います。

予測できる=解りやすい

様々なUIを見て思うのは、自分が行おうとしている動きについて予測しやすいというのは、非常にストレスが少ないという事です。おそらく、自分で思うようにコントロールできるという意識を植え付けるからです。
予測しにくいものでおもしろさをという場面は間違いなくありますが、日常的に使うもの、使用頻度が高いものについてはストレスにしかなりません。予想外がおもしろいのは最初だけ、つまりインパクト勝負になってしまいます。

私がUI設計の時に心がけているのは、複数回使うことを前提に、使うほど便利になっていくようにすることです。その場合、「予測しやすい」というのは短時間で慣れ、作業速度を上げて行くことに一役買います。もちろんここには、操作デバイスという概念ははずせないのですが、今は視覚に絞って進めて行きます。

ここまでで、ようやく外枠の部分が決まりました。次はより細部について考えて行きたいと思います。「予測しやすい」という側面で考えてきましたが、最も利用者の多い方法は常識となる – つまり、「デファクト」に従うことも必要ということについて考えてみます。

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作者について

青森県内でソフトウェア・システム開発を行うフリーランスのプログラマー。元々は集中監視システム開発に従事。現在はウェブサイト製作・オンラインシステムの開発案件を中心に、プログラミングのスキルトレーニングや講演も行う。

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