CPI MEGA MIX 2016に登壇しました
2016.07 26

KDDIウェブコミュニケーションズさん主催のCPI MEGA MIX 2016に登壇しました。Web 制作に必要な「技術・戦略」と Web 制作者の交流の場、ということで、全国のCPIエバンジェリストが昨年に続いて一堂に会しました。私はITスキルを通じて異業種との協業プロジェクトをいくつか経験し、そのケーススタディーを共有するという内容でセッションを行いました。

    異業種と協業してきた日々

    現在の本業であるプログラマーと並行し、料理研究一家「古川家」の活動を開始して今年で4年目になりました。

    プログラマーとして業務システムなどを受託開発してきた経験は、そもそも異業種交流のようなものだったのですが、今度は自分から異業種の世界に出て行くという動き方になっています。

    しかも持って行くのはITそのものだけでなく、要件定義や運用設計などを手がけて培ってきた情報処理技術です。同業者からは当たり前の行為や知見であったとしても、異業種の世界では特異な存在らしく、その点が強みとなっています。

    「くらし」を「なりわい」に

    古川家として活動する核の1つには、日々の暮らし、ライフスタイルをそのままビジネスにできるか?という挑戦があります。

    料理研究一家と名乗るのは、食卓を彩り、支える、家族という存在が欠かせず、食卓を起点として、それぞれの得意なことを生かし、力を合わせて活動していくというビジョンがあるためです。

    日々繰り返される家族との暮らしがとても大切な事だからこそ、消費するのではなく生産していく、そして新たな可能性に向けて投資していきたい。そう考えることで、自分の活かし方、活かされ方への意識が大きく変わりました。

    「専門家」から「兼業化」へ

    専門家から兼業家へ

    プログラマー、SIer、ソフトウェアエンジニア、呼び名は様々あれど未来についてはなぜか暗い話が付きまといがちです。

    誇りを持って仕事をし、技術の研鑽に励む日々にも関わらずです。

    AIに仕事を奪われる、35歳定年説、海外人材に駆逐される、ネガティブな未来は枚挙に暇がありません。

    では、これからどう歩んでいくのか?

    プログラマーとしての歩み方にはいくつかあると思いますが、すぐ思い浮かべるのは、新規テクノロジーを生み出し、世間に広めることで人々のライフスタイルそのものが変化する道かと思います。

    クラウドやスマートフォンが良い例ですが、世界が一変します。

    もう1つは、既存テクノロジーを別分野に適用する方法です。私の場合は、テクノロジーというより人材そのものを応用するという考え方です。これが兼業を指します。

    プログラマーでありながら料理研究のような、新たな業に取り組むというスタイルです。規模は小さいのですが、即行動できること、少額投資で済むというのがメリットだと思います。

    コンピューターを軸にした情報処理技術を、食という文脈から別業種に適用していくのです。食は裾野が広く、飲食店だけでなく様々な文脈で登場します。そこが魅力であり可能性が大きいと考えています。

    当たり前になってしまっているものだからこそ、価値を再発見していきたいという思いも含め、兼業していくことを選びました。

    コミュニケーションは不可視コスト

    別業種と関わるということは知識交換が必要になります。自分の技術が有用だと分かってもらうよりも、相手の実現したいことや暗黙知となっていることなどを掘り起こして、接点を探しながら相手の知識をこちらの血肉にしていくことが肝要です。

    だからこそ、コミュニケーションは必須ですし、とても重要と言えます。

    ですが、適切なコミュニケーション設計を行わないと、認識の齟齬や情報の混乱によってストレスばかりになり、プロジェクトそのものが止まったり、最悪の場合は解散となります。

    予算、納期、ビジョン。プロジェクトを進める上で確かに重要なものですが、どのようなコミュニケーションをとって進めていくか最初に合意するというのは、同じぐらい重要だと経験から感じています。

    かと言って、とりあえず話し合おう、集まろう、アドバイスを求めようを繰り返すのは本末転倒です。ここでのポイントは、コミュニケーションもコストの一種だと考えて、少ない回数にしたり、関係者を最小限にしたりと、削減できた方が良いものという視点です。

    協業プロジェクトでは、他のメンバーが本業を持っていたり、案件の掛け持ちをしていることもよくあるため、なかなか進まないことがままあります。

    それを問題と捉えるのではなく、必要条件と考えてコミュニケーション設計をした方が、私の場合はスムーズでした。

    運用・知識・心理、3つのハードル

    3つのハードル

    では、こういうツールを使いましょう、こういう運用をしましょうとなった時に出てくるハードルがあります。

    プログラマーとしては、このツールを使えば問題をクリアできるなと思いつくのですが、それがこのメンバーに向いているかは別問題ですし、根付くかどうかはその後の動き方にもよります。

    まず見えてくるのは知識のハードルです。ITになれた人にとっては当たり前の感覚が、別業種では通らないというのはよくある話です。主な原因は情報の非対称性、つまり得意な知識に差があることです。

    ここは先ほどでいう、異業種間の知識交換を積極的に行うことで解消できるのですが、次に出てくる心理的ハードルが立ちはだかります。

    ITヘの苦手意識、トラウマとも言える過去の失敗や恐怖心が、知識交換に対する意欲を削いでおり、これが根本の原因であることが多々ありました。

    まず最初に越えなければならないのは、この心理的ハードルだと考えています。

    既知をもって未知に踏み込む

    未知と既知

    では苦手意識や恐怖心の根底には何があるのでしょうか?私はそれを未知だと考えています。

    知らない、分からない、経験がない、そういう状態が漠然とした不安になり、過去の経験と相まって苦手意識や恐怖心になっているようなのです。

    新しいツールを使いましょう、それにはこういうメリットがあってと説明するのは、こちらの領分ですから難しくありません。ですが、いかに合理的な説明であっても相手が受け入れるとは限りません。

    1つ自分の中で良い方法だと手応えがあったのは、既知の方法をとるということです。知っている、分かっている、経験があるということは、心理的距離を近く感じるため、抵抗感が薄れたり、安心できるという可能性が高くなります。

    例えば、初めて使うツールなら対面で説明しながら動かしてみる、相手が1人で試すのは不安そうなら自分が相談窓口となる、相手にとって未知のことに対して、相手にとって既知の方法をとるとハードルを越えていけます。

    初めて使うツールをメールで説明する、これはハードルを越える可能性が低くなります。悪手とは言えませんが、他に既知の方法がないか検討する余地があるのではないでしょうか。

    誰のための技術なのか

    技術があるとして、誰を中心にして考えるのか?そこが大きな分岐点だと考えています。

    職業柄、新しい技術を試し、既存の技術を研鑽するというのは現役でいる限り避けられません。ただ、技術そのものは手段にすぎないというのが私の方針です。

    もちろん技術を目的にするというのも楽しい一面があります。ですが、自分だけ喜んでいても前に進むことはできないとも実感しています。

    様々な業種、そこで働く人たちがいて、歯車の大きさやスピードも様々です。新規テクノロジーは、それそのものが大きな歯車と言えます。なので強制的に周りを動かしてしまう力を持っており、それによって世界が変わってきたというのは、歴史を見れば明らかです。

    兼業という私のアプローチは、潤滑油のようなものです。少し違うのは、存在や意味を知ることで、元々の歯車が加速するだけでなく、歯車そのものが大きく力強くなる可能性を持っている点です。

    異業種へと踏み込み、方々で歯車を加速させたり、力強くすることで、世界全体が加速していけるのではと、私は考えています。

    また次回に期待して

    各地に散らばるCPIエバンジェリストが一堂に会するというのは、発表者側としても刺激になります。

    1年に1回というのは、持ち寄ってこれる情報も濃くなっているので、ちょうどいいのではないでしょうか。

    また来年、新たな事例や学びを持って、このイベントに臨めたらと思っています。

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    テスト環境の保持期限ってどのぐらい?
    2014.07 04

    システム開発に従事する方々、過去のプロジェクトについてテスト環境はどのぐらいの期間で保持していますか?思いも寄らぬタイミングで過去に納品したシステムについて問い合わせがきたりします。テスト環境を残しておいて良かったと思う反面、責務として残り続ける点についても色々と考えさせられるものがあります。

      約2年前にシステム納品したプロジェクトから障害発生の連絡。
      原因をたどっていくと、とあるプラグインの設定に誤りがあったのだが、これに気づくまで意外と時間がかかった。

      テスト環境は正常に動作している状態なので、内容を比較していって原因を特定。
      管理画面からプラグインの設定をいじらない限りはならないはずだが、いつ誰がやったのかまではさすがにわからない。

      設定を変更した履歴まで残すとか、そこまでケアしたシステムではないし、個別にアカウント作ってガチガチの管理というわけではない。ミッションクリティカルでもない限り、そこまで追跡する機能は作り込まないだろう。

      テスト環境はクリーンかつ半永久保存

      今回はテスト環境が正常な状態で残っていたので分かったようなものの、今の技術スピードだと2年前のものですら化石に見える。.scssとかもう使ってないし。PHP 5.2系なんて、レガシー扱いだ。

      といいながらも、開発した案件はほぼすべてテスト環境をのこしたまま、ディスクに眠っている。
      最古の環境は7年以上前(カームテックの創業前!)だ。テスト環境として利用しているものも、今となっては同じものを揃えられるか怪しいものばかり。

      しかし、これまでの経験では残しておいてよかったと思うばかりだった。

      先日も業務端末がWindows XPからWindows 7へ端末ごと変更ということで、商品データ生成ツールの環境構築をしてきたが、当時と同じにしようと思っても色々と環境が違って四苦八苦した。ちなみにそのシステムを納品したのは2005年か2006年あたり。

      法人は、帳簿を備え付けてその取引を記録するとともに、その帳簿と取引等に関して作成又は受領した書類(以下「書類」といい、帳簿と併せて「帳簿書類」といいます。)を、その事業年度の確定申告書の提出期限から7年間保存しなければなりません。

        また、法人が、取引情報の授受を電磁的方式によって行う電子取引をした場合には、原則としてその電磁的記録(電子データ)をその事業年度の確定申告書の提出期限から7年間保存する必要があります。

        ただし、その電磁的記録を出力した紙によって保存しているときには、電磁的記録を保存する必要はありません。

      国税庁 | No.5930 帳簿書類等の保存期間及び保存方法

      システム構築という責務は予測不可能な未来

      法人会計ですら7年間。システムの寿命は思ったより長い。その産業のサイクルに準じており、よほど致命的なセキュリティ対策等がない限り延々と使い続け、それを前提に教育された業務が「文化」「社風」となっていく。

      受託システムにおける稼働サイクルというのは、思っているよりも長く息づくことが多い。
      そこまでを見通して設計となると、やはりクライアントへ歩み寄り、企業文化を含め知らなくてはいけないことがとても多い。関係者が増えると、同じ温度で案件が進むことは少ない。

      東日本大震災でもそうだった。耐震設計の時、どこまでを見通せば良かったのだろうかと、ふとよぎった。システムを設計するプログラマーは、時として予言者のような立ち位置になってしまう。

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      [レポート]一歩先行く!ツール活用で制作効率アップ
      2012.07 29

      今回のセミナーは全部で5セッションと非常に盛りだくさんでした。特徴的だったのは、講師陣5名の内、3名がプログラマーだったことではないでしょうか?Web制作というとフロントエンドに注目されがちなのですが、制作フローに沿って要所を抑えていくセミナーになったと思います。

      抱える課題は立ち位置によって違う

      セミナーでは効率化を行う目的、効率化の後のことについては講師の立場によって伝え方が異なっていたと思います。私が扱ったテーマ「バージョン管理」では、「機械化できることはして、人間にしかできない事に集中しよう」という主旨でした。

      バージョン管理のデモで反応が良かった部分は、コミット済みの画像と編集後の画像の比較ができるところでした。
      フロントエンドの人間にとっての課題は、大量の画像書き出しといったテキストではない成果物の管理。画像もバージョン管理できるというアプローチは当初、キャッチーに理解できる例示として考えましたが、結果的にフロントエンドをメインとする方々が日々抱える問題を解決する例示となっていたようです。役立つ内容を提供できたようで嬉しかったですが、プレゼンテーション制作は要求分析そのものなので、さらに精進しようと思いました。

      何のために効率化するのか?効率化の先にあるものは?

      私の主旨は「機械化できることはして、人間にしかできない事に集中しよう」でしたが、効率化できて人間本来の仕事に集中できたその先には何があるのでしょうか?

      懇親会で話していた時に振り返ることができたのですが、近年のサービスやアプリケーションは「無料」「簡単」といった敷居を下げるキーワードに終始するケースが多いです。これは消費の仕方を示唆するだけで、「それを使ってどうなるの?」「どう組み合わせればいいの?」「自分のケースには当てはまるの?」というような「先」が提示されません。我々、制作者・開発者は生産者です。

      点を提供するよりも、何を生産できるようになるのか、どんな利益を得られるようになるのか?すでに駆使して利益を得ている人間はどんな世界を見ているのか?といったモデルケースを提示すること、つまり線を提供することで、試してみよう、挑戦しようというポジティブな行動の引き金になると思います。行動する人が増えれば、続こうとする人も増えます。その連鎖が、デファクトスタンダード化やパラダイムシフトといった動きになるのでしょう。

      自分にとっての効率化の先を考える

      自分の事例をあげると、適切なフレームワーク採用によって、作業期間は見積もり1ヶ月の内容が2日で実装できるようなケースが出てきました。余剰工期は、インターフェース設計をはじめとした使い勝手のブラッシュアップに適用。

      結果、第1版から品質の高いものを提供できたのでクライアントから即OK。差し戻しもなく、互いに気持ちよく次の工程に入ることでポジティブな連鎖が生まれ、以降の内容が進めやすくなったり、信頼の獲得につなげられました。
      もっと言えば、作業だけでなく考える時間についてもらえる対価の比率があがっています。自分で納得のいく対価は、メンタル上でも非常に健全で価値の高いものです。

      良い例ばかりではありませんし、そこに至るまで、たくさんの失敗や試行錯誤がありました。しかし、効率化によってどんな利益を得られるようになるかの「先」として1つの例でしょう。

      目前よりも少し先を意識してみる

      車やバイクの教習を受けたことがある人は知っているかもしれませんが、目前より少し先の目標物を見たほうが運転しやすくなります。目前を見ると視野が狭くなり、危険予測などに影響が出るためです。
      効率化によって得られた利益をどうするのか?新たに投資するのか、別な用途に転換するのか、それは人によって違うと思います。

      大事なのは効率化した先を考えて、制作環境の見直し・ツール導入を検討することだと思います。効率化の前には、必ず試行錯誤のコストが発生するからです。自分にとって、何を効率化することがベストなのか?今回のセミナーが見直し、振り返りの機会になれば幸いです。

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      フリーランスの製作者が考えるべきプロジェクトのバランス
      2012.05 22

      フリーランスだとプロジェクトに参加して様々な方と共同制作というケースもよくあるでしょうし、クライアントからの請負で制作することもあると思います。登場人物が増えれば増えるほど、プロジェクトのバランスを良好に保つというのは難しくなります。一製作者として、どのようにプロジェクトに携わるべきかを振り返ってみました。

        プロジェクトはある目的を達成するために集まったチームといえます。よくある立場としては、利用者・発注者・依頼者が考えられるでしょう。よくこういった製作話で持ち上がるのは、関係者の利益バランスの設定を間違った結果、誰にも使われない、納期に間に合わないといった成果物ができあがるパターンです。

        よく聞こえてくるのは、特に発注者と製作者の溝です。果たしてこれは誰のためのプロジェクトだったのだろうか?と反省する弁もよく聞かれます。受託案件となると、イニシアティブは支払いを行う発注者にあるケースが多く、製作者がそのしわ寄せ先になると思われがちですが蓋を開ければ全員が損をしています。

        • 利用者 試す気にもならないサービス、メリットも感じられず時間の浪費
        • 発注者 投資に対してリターンを得られず資産と労働力の浪費
        • 製作者 労力に対してリターンを得られず、加えて継続的な取引機会の損失

        今回の記事では犯人探しや責任のなすり合いではなく、プロジェクトにとって大事な利益のバランスについて自分なりの考えを書きたいと思います。

        誰がためのプロジェクトか?

        Balance of project1

        製作者がよく陥る失敗はクライアントとユーザの優先順位を誤るケースです。売上をあげる、という点ではクライアントである発注者の意向に添うことで満たされることは多いでしょう。しかし、その利益とはどういう定義なのでしょう?
        一見、発注者が得をして製作者も懐が温まったように見えますがビジネスとしては失敗です。なぜなら発注者の収入源となるユーザの利益が低いために、今後の回収を望めないからです。

        当たり前の話をしたところで、上のグラフに違和感を感じないでしょうか?ユーザは最初の時点で、自分にメリットがあるかどうかも分かりません。発注者は投資をしたのであって、回収するまではマイナスです。お金の流れだけで言えば、製作者が一番最初に得をしているはずです。つまり、このグラフは製作者の思い込みの可能性があります。

        精根尽き果てでも完遂すべきか?

        Balance of project2

        次にあるケースはユーザ至上主義ともいえる姿勢です。一見、クライアントの顧客であるユーザの利益を最大にしようという姿勢は正しく見えます。しかし、そのために発注者と製作者にとっての負担を非常に大きくすることで成り立つ状態であった場合、果たして継続できるビジネスとなるのでしょうか?

        あくまで発注者も製作者も事業体なのですから、継続できるだけの還元が見込めなければ手を引いた方がマシかもしれません。何とかやり遂げた、しかし2度とやりたくない。特に製作者にとってはユーザーのためと言われれば弱いかもしれませんが、リターンに対して労力があまりに大きすぎる状況を冷静に見られていなければ危険です。いわゆるデスマーチは事業の継続性という点では最悪のトラウマとなります。

        Win-Winとは本当に成り立つのか?

        Balance of project3

        関係者すべてに平等の利益があるWin-Winが理想的というのは、よくある話です。ですが、平等の利益とはどういう状態なのでしょう?これはあくまで自分の感覚になってしまいますが、平等という定義がよほど明確になっていない限り、体面上は平等であっても不公平感が募っていくようです。これは対人関係において「自分はこれだけやっているのだから」というのは、実は互いに感じていることであり、それを忘れることは1つ目のグラフへの序章となりえます。

        自分が一番に投資をしているつもりで、実は自分の利益を最大限にしようと操作してしまう可能性があります。本当に利益をそのように操作していなくとも、プロジェクトの関係が良好でないと、不公平を感じてしまうというのが怖い所です。

        1%だけ譲る、という感覚

        Balance of project4

        先ほどのグラフで余剰だった1%はユーザーに譲ります。発注者の顧客であり、継続的な還元を得るためには必要です。さらに製作者が1%をユーザーに譲ることで、発注者が得している状態を作れるかを考えます。内部的な関係としては、製作者が発注者に対して1%譲るという感覚が大事ではないかと考えています。恩を売れ、ということではなく少しだけサービスする、という感覚です。発注者に直接ではなく、顧客であるユーザに利益があることで発注者に利益が増えます、という体裁は大事です。

        なぜなら最終的に大事なのは事業の継続性であり、そのためには良好な対人関係も必要だからです。加えて、最初に物理的な利益を得ることになるのは大抵の場合は製作者だという前提があるからです。
        発注者から「あ、この人に頼んでよかったな」と少しだけでも思ってもらえることが、継続への一歩だと思います。

        仕事と生活のバランスを忘れない

        ここまで、プロジェクトという観点で書いてきましたが、あえて利益とは何か?還元とは何か?というのは具体的に定義していません。その利益は仕事としてなのか?人としてなのか?でも変わってくるからです。私の中では人として、というのを大前提にしています。
        フリーランスという立場上というのはありますが、あらゆるリソースをつぎ込み、最大限の努力を自他共に認められる内容であっても、普段の生活がおろそかでは今後の継続性という点ではマイナスです。

        様々な人間の助けや共生によって成り立っているという視点を見失わない余裕、バランスを維持することが実は一番に意識を払うところなのだと感じています。

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        「残す」ことを前提とした設計
        2011.09 07

        ここでの「残す」とは、継承というニュアンスを含んでいます。子育てをし、親の気持ちというものが分かり始めました。親は自分に何を残そうとしていたか、自分は何を残せるのか?自分の中で非常に大きなテーマとなりつつあります。残すことを前提に何かを始めるというケースは恐らく少ないと思います。

          私が住む青森県弘前市は城下町。歴史的な建造物にも恵まれ、いわゆる老舗と言われる古くからの素敵なお店もたくさんある。その中で、カクミ小路という有名な通りがあり、そこには太宰治が通ったという店など、風情のある通りだ。

          その通りにレストラン・ニューマツダという洋食屋さんがあった。丁寧な仕事とリーズナブルな価格設定、男性も女性も楽しめるメニューとボリュームで、知る人ぞ知る人気店であった。

          しかし、いつ頃からか不定休になりがちで、空振りすることもよくあった。それもまた、今度もまた来ようというスパイスにもなっていたのだけど。夫婦ともども、このお店のファンだったので、子どもが大きくなって最初に連れて行く洋食屋は絶対ここにしようと話題にしていたぐらいだったが、惜しまれつつ閉店となってしまった。シェフの体調が悪くなってしまったらしい。あまりに残念であった。

          古くからのお店は後継者という問題に悩まされる。誰もが知る有名店なら、修行したいと訪れるかもしれないが、地方で地元の人が楽しむ小さなお店となると、継続するための選択肢も少ない。子宝に恵まれ、親と同じ道を志し、親以上の味を持って受け継いでいく店もある。美談ではあるが、現実は厳しい。道半ばで店主が亡くなられ、奥様が必死の努力で店を繋いでいく例もある。しかし、中心となっていた人の代わりなど、いるはずもないのだ。

          その店ならではの基礎を身につけ、そこに新たな発想を上乗せすることで連綿と続く老舗を経営している例もある。生存競争に勝ち続けている証なのだろう。何が決定的に違うのだろうか。最初からできているとは考えにくいが、「残す」ことを前提に業務設計をやり直す時期を設けているのだと思う。生涯現役でいることは、職人としては素晴らしいことだと思う。しかし、時間という絶対基準がある以上、代替わりをしていく設計を描いておかなくてはいけないのだ。

          では、何を残すのか?資産、設備といった物理的なものではない。一子相伝とも言うべき技術か?技術とは何だろうか。技術を身につけた人間の思想なのだと私は思う。つまり、考え方だ。状況は刻一刻と変わる。時代も変わる。価値観も変わる。しかし、人間が人間を超えない限り、考えるという能力が唯一にして最大の武器なのだろう。

          私たちを取り巻く様々な物質は、考え方を具現化したものであり、生産者として生きるなら目を向けるべきは物質の裏側に流れる考え方だ。

          残し方を設計してみようと思う。正確には試行錯誤中だ。今はマインドマップをベースとした形で始めている。残す相手は娘。もしくはその先の家族。マインドマップの問題は1ノードあたりの情報量を少なくしたほうが良いこと。しかし、全体を常に見渡せること、ノード間の関連や派生が一目でわかる視覚表現は非常に素晴らしい。MindNode Proを使っていて、ノードに写真はファイルを指定できるので、1ノードあたりの情報量を自由に操作できるというのが普通のマインドマップとは違う進め方だ。

          Wikipediaのようなテキストベースの百科事典の場合、関連をたどる時に思考の流れが自然であることは良いのだが、全体を見渡しにくいこと、情報の追い方が線形になりがち、現在地を見失ってしまう、という欠点がある。その点、マインドマップは派生の結末から見ることも可能だ。ただ、異なるメインブランチとリンクするノードが増えてきた場合、カーソルが無数に交差してわかりにくくなる可能性がある。

          現在はメインブランチの精査と、確定したメインブランチからの派生を進めてみている。自分史のような時系列ではない表現もありがちだが、年齢というビューは時間に沿った考え方になってしまい、自由をかえって奪うのではないかと今は考えている。今後も、この試行錯誤はブログでも共有していく予定。

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          Twitterなどで失言する人に見えるパターン
          2011.06 18

          AERAの「放射能がくる」への反響、ソーシャルネットワーク上での失言による炎上、言葉は常に諸刃の剣です。大小問わず炎上した経緯を眺めていて、失言する人のパターンという仮説を立ててみました。

            インターネット上でよく見る失言からの炎上というパターンに、ある傾向を感じ取れた。Toggeterが存在するので、Web魚拓替わりとして炎上に至る経緯が見える。

            パブリックを自覚しているか?

            最初に火蓋を落とす発言者の性質は大きく2つに分かれる。発言している場所がパブリックである認識があるか、ないか。それぞれの特徴を上げてみる。

            パブリックの認識がある場合

            • 知識量に優位性がある素振りを見せる
            • 批判に見せかけた非難の意図が見え隠れする
            • 多数の閲覧者・監視者がいることを知っている
            • 自分の発言によって注目を集めたいと考えている

            パブリックの認識がない場合

            • 感情的かつ攻撃的な言葉選びをする
            • 情報の機密性を考慮していない
            • 自分の発言に対する反応数を想定していない

            火種が生まれるパターン

            今回は前者に焦点を当てる。発言内容の特徴として以下の2つがある。

            必要以上に極端、大げさな言葉を使う

            火種がうまれる発言のパターン1つ目

            あえてインパクトある表現をしようとした時に、多数の解釈が可能な言葉を選ぶ。本来伝えたい内容に余分な要素が入ることで、背景の異なる人達がそれぞれの受取り方をする。発言者が想定しきれていなかった反応があると炎上につながる。反応した人がより知識をもっていたり、当事者であったり、影響力の強い人であると炎は更に大きくなりやすい。

            必要な説明を省略する

            火種がうまれる発言のパターン2つ目

            前提や補足、情報源を省略することで、情報を受け取る側が自分の知識で保管する必要がでる。知識量が及ばなかったり、過去の経験から不安要素が大きくなってしまい、情報の真偽について正確な判断ができなくなる。発言者が受け手に対して「このぐらい知っているだろう」と考えているのか、「あえて省略している」かでは話が違う。「あえて省略している」場合は必要な情報を隠しているので、扇動の可能性がある。

            読解の制限はミスリーディングの温床

            発言内容に関する2つの特徴について言えることは、Twitterを例にとると、文字数制限があったり、前後関係が分断されていることから、余計に火種が発生しやすくなっている。
            インターネットはパブリックな場所であること、言葉は諸刃であること、この認識が薄れる状況は光と影を持っている。

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            情報処理技術者として私が目指すこと
            2011.06 01

            IAという言葉があります。プログラミングやデザインといった情報を具現化する手法は数あれど、その過程は属人的なノウハウであることが多く、他者との共有が難しいものです。それを言語化、図解する取り組みは過去にも数多ありますが、WEBデザイン上における同取り組みに正式な呼称がついたと捉えています。私も似た取り組みを行なっている者として、今後の指標を自分に書き残します。

              プログラマとして働き、フリーランスになってから3年目になる。情報処理技術者試験というものがあるが、そもそも「情報処理」ということについて見つめ直さねばと考えている。いや、ずっと考え続けている。しかし、もう何となくではダメなのだ。

              開発者として活動する傍ら、講師としての活動も行っている。そこでは情報リテラシーについて自発的に学習してこなかった人が多数いる。今やPCスキルはあって当たり前の時代とは言われているものの、日本の普及率は60%で頭打ち。これだけインフラが整備されている国にもかかわらずだ。更にその中で情報リテラシーを持っていると言える人はどれだけいるのだろうか?

              震災でインターネットは何の役にも立たなかった。それはそうだ。通信インフラが破壊された世界でインターネットは人を救えない。しかし、インフラが復活し始めてから情報を手に入れられない、いわゆる情報格差によって損をしている人がいるのも事実だ。

              情報社会という手垢まみれの言葉への考察と提案は星の数ほどあったはずだ。しかし、たかだか50年程度の歴史しかないとはいえ、情報処理への取り組みは疎かなままだ。新たな技術が、新たなサービスが日々生まれている。日本は創造という分野で負けている。そう感じている。精度を上げたり、細分化することで右にでるものはいないのだけれど。

              何も全員ブラインドタッチができるようになれとか、プログラミングできるようになれとかを言いたいのではない。いや、プログラミングはできた方が得だが。ともかく、私はプログラマとして、情報処理技術者としての道を選んだからには何かを残したい。

              当然、モノで残すのは宿命だと思うのだが、それらは時代と共に変化するので恒久的ではない。人間が情報に価値を見出し、未来も情報に価値を求めているのが人間ならば、考え方を残したいと思う。歴史的格言が現代にも影響を与え続けているように。

              記憶力よりも応用力

              講師として毎度実感することは、習う人間の背景は千差万別であり、解釈にも多様性があるため、厳密な知識を全員に共有するのは非常に難しいことだ。だが、そもそも厳密な知識が必要な場面はどれだけあるのだろうか?大概の状況において、重要なのはHTTPの仕様の暗記ではなく、HTTPの特性や使いどころを知ることだ。立ち位置にあった情報、つまり状況にあった視点を持ち、それに相応しい粒度の情報を得ることなのだ。

              さらに大事なのは、適切な情報にたどり着く術を持っていることだ。私にとって講師の役目とは、辞書の単語を教えることではなく、辞書の使い方を教えることだと考えている。英和だろうが仏和だろうが英英だろうが何でも構わない。何を選ぶかは状況によって変わる。しかし、使い方がわからなければ思考が止まってしまう。

              これからのビジョンと当面の目標

              これまでに述べたことは珍しくも何ともない。何を当たり前のことをと思う。しかし、情報処理という概念やその過程を適切に言語化、図解して多数の人に理解してもらえる人はどれだけいるだろうか?多くの人は情報処理を体験として蓄積しており、自分だけなら理解できるとしても、同じことを前提の異なる人間に対して具体的に共有し、自分と同等かそれ以上の結果に導ける人はどれだけいるだろうか?

              情報処理の重要性を認知し、自発的に処理能力を向上させる意識を持ってもらう。私の講師活動における最初のゴールだ。そこからがまた、新たなスタートになる。今度は情報処理の効率を上げていく。これは生産活動の効率化に直結する。すると何を期待できるか。有限であり、絶対的な存在である時間を圧縮できる。そうすれば未来が近くなる。

              私は今のスピードで死ぬまでに体験できるであろう未来よりも、もっともっと遠くの未来を体験したい。未来の渦中にいたい。直近の目標としては、今の生産性で体感している24時間を48時間相当にしたい。それはつまり、未来への距離が半分になる。子供だましのような数え方だし、大仰な話だが、私にとっては大真面目な話であり、これからのアンカーとなる。

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              休日分散と美容院の定休日に見る風習の捉え方
              2011.05 24

              休日分散の動きが大手企業から順に実施されている。定休日が土・日という風習が変わっていくかもしれない。 以前、ひょんなことから定休日について調べたとき、なぜ美容院は月曜日に休むのかを知った。 東京では火曜定休の店が多いが、 […]

                休日分散の動きが大手企業から順に実施されている。定休日が土・日という風習が変わっていくかもしれない。
                以前、ひょんなことから定休日について調べたとき、なぜ美容院は月曜日に休むのかを知った。

                東京では火曜定休の店が多いが、全国的には、やはり月曜定休が主流らしい。
                では、そもそもなぜ月曜が定休日になったのか。全日本美容業生活衛生同業組合連合会に聞いた。
                「ご指摘の通り、全国的には月曜定休が多いんですが、それはずいぶん昔、戦前の電力事情がよくない時代からのようなんです」
                と言うのは、広報担当者。

                かつてはコールドパーマなどがなく、髪に何十本も電極をつける「電髪(でんぱつ)」というパーマが主流だったそうで、美容室=電気を大量に使う場所とみなされていたそうだ。
                「そこで、電力の供給にあわせて、休日の後、つまり、月曜には電気をたくさん使うものをストップしようということで、美容院を休みにすることになったと言われています」
                ただし、これはあくまで憶測で、本当かどうかは不明とのこと。ちなみに、美容院の定休日は、かつて月曜定休だった百貨店にあわせているという説もあるようだ。

                諸説紛々のようだが、電力事情について戦前まで遡ることになった。当然、潤沢な電力が今のようにあるわけがない。

                「定休日」がきっちり決められたのは、昭和35年前後。
                「『適正化規定』という法律に基づいて、都道府県ごとに、組合が定休日や料金、営業時間などを決めることになったんです」
                ただし、これも今では「公正取引委員会」の指導により、完全に自由になっている。つまり、いつ休んでも、休まなくてもいいわけなのだが、それでも月曜定休が多い理由は、
                「都道府県ごとに決まっていた頃のなごりでしょうね」

                「なごり」という慣性の上に私たちは暮らしている

                今年の2月、ちょうど青森県弘前市では、弘前城築城400年を記念して、江戸時代の頃の弘前(当時は津軽藩)の殿様の食事を再現するという催しがあった。料理の復元を担当した、さくら亭の料理長は、父の旧くからの友人でもある。
                保存性、味、もてなし、といった一度にすべて満点にするのは難しい要素を、見事にバランスを取りながら昔は食事をしていたことを体験できた。
                特に現代は減塩志向なので、保存に使う塩分量はまったく違う。刺身につけるタレも、醤油ではなく煮切り酒を利用していたりと、最後まで興味が尽きなかった。

                幼少から食べている食事、そして郷土料理と呼ばれている食事を振り返ってみると、江戸時代にかなりのものが定着し、その「なごり」として現代に残っていることもよくわかった。
                定着した風習というものは、なかなかに覆りにくく、それが社会に浸透することで「伝統」なり「文化」となるのだろう。

                風習という前提は時に危険

                プログラマとして様々な生産活動をするに当たり、「思想」「志向」に触れる機会は多い。これらを知り、学ぶときに気をつけるのは、鵜呑みにせずよく咀嚼してから、自分の考えに組み込むことだ。
                それに時間がかかるのは良いことであり、重要な体力づくりである。余談だが、プログラマーではなく、プログラマとかサーバとか記述するのも、とある風習というか制約によるなごりだと、先輩に習ったことがある。

                これまで点だった知識が線としてつながる体験が増えるなか、大事だと感じるのは起源を知ることだ。不思議なことに、高度な概念も起源は実にシンプルだったりする。「そんなこと!?」と思うほどに。特に風習の起源は、大したものでなかったりするのも興味深い。
                「思想」「志向」の源泉が実はある「風習」から来ている可能性をたぐるのは、思考の助け、起源を知る機会になる。そもそも、その風習(前提)は本当に必要だったのか?という投げかけが、新たな切り口となる。

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                それでも私がブログを書きたくなる理由
                2011.02 08

                世界に向けて発信することが、今は非常に簡単にできます。情報の性質が日々変化していく中で、あえて残したい情報として何が考えられるでしょう?そして、残したい理由は?自分のブログに対するスタンスを振り返りつつ整理してみます。

                  あなたはフリーランスとして生き残れますか?の一部でも触れていますが、現在、私たちの活動コストはとにかく下がっています。その中でも顕著なのは発信コストです。
                  個人ブログはもちろん、SNSやレビューサイトなど様々なサービスを通じて、誰もが自分の言葉を世界に発信することが出来ています。Webのリアルタイム性が既存メディアのスピードを凌駕しつつあることに、驚きと希望を抱く一方で、懸念を抱くこともあります。

                  住み分けと使い分け

                  発信コストが下がったものの、その内容は断片化してきており、情報の濃度も薄れがちです。とはいえ、Twitterのようなリアルタイム性に優れ、参加者数が世界規模となると、エジプト反政府デモのように、波及効果は眼を見張るものがあります。携帯電話がなかった頃にどうやって待ち合わせをしていたかを思い出せないように、もはやデファクトといえる各Webサービスが無かった頃は思い出せません。

                  内容の断片化につられ、文章の読解・作成にかけられる時間も断片化してきていて、「まとめ」を売りにしたコンテンツやツールが増えています。利用者は使い分けが進んできています。瞬間的な情報はTwitter、啓蒙や分析といった時間がかかる情報はブログと使い分ける人が増えています。

                  私が求めている情報

                  刻々と流れる情報で何を望むかは人それぞれですが、私が目を留める発信者には以下のような傾向があります。

                  自分にない切り口からの評価

                  評価の対象は、思考実験的なものから統計情報を元にした確度の高いものまで様々ですが、やはり眼を引くのは自分が知らなかった、思いもしなかった切り口からの意見です。こんな考え方があったのか、こんな使い方があったのかという驚きは刺激になるだけでなく、その後の行動指針にすら影響を与えます。

                  しかし、ただ穿った見方やおもしろおかしい見方であれば良いのではなく、発信者のバックボーンが伺える切り口だと更に興味を引きます。慧眼や深い洞察は日々の生活の中で、どれだけ注意を払っているか、振り返っているかで決まっていくのでしょう。

                  また、そういった独自の切り口を提供する発信者は、かなり偏った意見を出すことも多いですが、今、自分が偏ったことを発信しようとしているという事実も客観的に捉えた補足をしていることが多いです。

                  全体像の解説

                  ある状況や事象について、継続的な観察を行なっている発信者がよく行っています。新しい知識を獲得する際に、こういった「ベスト版」のような全体像の解説は非常に助けられます。

                  情報を手に取る、タイミングや入り口は様々なので、時に誤解を持ったまま咀嚼しようとしていることがあります。そんな時に、こういった全体像の解説は自分の立ち位置を確認できますし、解説と照らし合わせて、情報の真偽を自分の視点で確認する助けとなります。

                  意見や疑念の代弁

                  私がインターネットをおもしろいと感じたのは、こういった発信者に出会えるチャンスがあるからです。常識、たしなみ、ブランドという価値基準は時に人の判断を狂わせます。どれもが後付で作られた価値観にも関わらず、民族性なのかどうかわかりませんが、振り回されている人は自分も含め非常に多いのです。

                  その中で、自分なりの意見や疑念を、知り合いでも何でもない、どこに住んでいるかもわからない誰かが代弁してくれていると、不思議な安堵を得ます。特に自分が信用できると思うバックボーンをもった発信者による代弁は、今後の行動指針に大きな後押しとなります。

                  「あの人と一緒だから大丈夫」という表面的なものでありません。大なり小なり、自分なりに時間をかけている意見や疑念は、人生にとっていつの間にか重要なテーマとなっています。偶然にせよ、同じテーマを持った人間がいるという事実は、大げさかもしれませんがある種の「救い」にすら成り得ます。

                  それでも私がブログを書きたくなる理由

                  代弁者の存在は、自分の考えを再整理するきっかけになります。これまでひとつの基準しかなかったものが、もうひとつの基準によって確度を高めたり、新たな発見を得ることになるからです。

                  そこからもう1周して考えたことを自分への確認テスト、誰かにとっての代弁者になることを期待して私はブログを書いています。知的刺激を受けて、分散していた情報が一気に繋がっていくときは快感すら覚えます。そして、湧き出た思考を残したいという衝動に駆られるのです。

                  ライフログが巷では人気ですが、思考ログ(Mind Dump)もその当時に何をしようとしていたかを振り返ることになり、比較対象として良き判断基準となるでしょう。未来の自分が振り返ったとき、その価値を感じるはずです。

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                  あなたはフリーランスとして生き残れますか?
                  2011.02 01

                  CalmTechは開業3年目を迎えました。記念すべき日ではありますが、最近の開発者・製作者事情についてのエントリから思うところを、今後の自分への戒めを込めて残しておきます。

                    ゆっくりと確実に変化するWeb制作のルール – 住 太陽のブログ

                    Web製作者に向けてのメッセージですが、自分が商売する立場ならどうする?
                    という問いかけに悩む人も多いかもしれません。

                    私自身、2008年2月1日に独立開業して、3年目を迎えました。受託開発と講師という2足のわらじを履き、たくさんの人の支えがあり、自分を評価するならば「人に恵まれた人」としか言いようがありません。

                    フリーランスが提供できる価値は何か?

                    時代という最大のランダム要素を抱えながら、フリーランスとしてこれまで成り立ち、それなりに食べてこれたのは運もあるかもしれません。これまでの経験で確信しているのは、フリーランスにとって最大の商品は「自分」です。

                    総合的なスキルは当然必要ですが、結局のところ、どこの馬の骨とも知れない個人を由緒正しい法人は簡単には信用しません。ビジネスは信頼関係が大事ですから、この人は信頼できると思ってもらえる人間性というものが、スキルと噛み合ったときに初めて自分を商品として発注側は捉えてくれます。

                    しかし、それだけで一生うまくいくとは到底思えません。なぜなら、後ろ盾になるものがゼロだからです。1人で提供できる労働力には限界があり、物理的な競争には簡単に負けてしまいます。「自分」に加えて事業としての軸を持たなければフリーランスとして商品価値を高めるどころか、維持することもできません。

                    その軸はメイン事業でなくとも良いと思います。ビジネスモデルを考える時に役立つかもしれない1つの仮説でも言及していますが、大きい額でなくとも、フリーランスとしての基板を支える、ベーシックインカムになる事業も必要です。私自身は、この1、2年でその軸を増やすための活動をしていく予定です。

                    道具と同じステージに立ってはいけない

                    真面目を真面目に考えてみた – 404 Blog Not Found

                    今、様々な「活動コスト」が下がっています。業務コスト、販売コスト、発信コストと枚挙に暇がありません。ITというインフラは確実に様々なコストを下げ、後発のサービスが伝統を塗り替えています。自動化されればされるほど、コンピュータにできることをしていては、人の居場所はなくなる一方です。

                    ITに関する様々な職種や仕事が生まれましたが、商売の本質はどこの業界であっても同じだと感じるばかりです。コンピュータはあくまで道具です。人にできないこと、面倒なことを肩代わりしてくれる便利な道具です。であれば、人間にしかできないこと、そして自分にしかできないことは何かを自覚することが大事です。これは今までに散々言われてきたことで、今更ではあります。

                    技術なのかアイディアなのか人柄なのか、商品になりうるものは何でもありです。そういった要素の集大成としてビジネスモデルを構築することもありです。
                    すると、自分程度の人材なんて余るほどいると悲観する人もいるでしょう。「この世でこれができるのは私だけ」というのは理想ですが、そんな素晴らしい物は誰でも持っているわけではありませんし、それを手に入れる機会や年月は想像もつきません。

                    一歩引いてみると、私たちは同業者や関係者が集まる、あまりに狭い世界で生きていて、これを知っていなければ、これをできなければ恥という外聞に踊らされていますし(それを望んでいる?)、様々なマスメディアも不安を煽りこそすれ、今後どういう展開をしていくべきかという話はあまり掘り下げません。

                    「何を売るか」よりも「どこで売るか」

                    受託開発と商売と – 株式会社マジカジャパンの羽生章洋が書いてるブログ

                    世界を見渡し、自分よりも上を見ればキリがありません。私はひとりですべての工程を完結できるのが理想だと考えているタイプです。だからこその考えかもしれませんが、視点を変えてみてはどうでしょうか?あなたにしかできない状況に自ら移動するのです。「この辺でこれができるのは私だけ」という状況はないか考えてみてはどうでしょうか?どこかにあなたの能力を求めている人がいるはずです。それもごく身の回りで。ニッチを見つけろというニュアンスではありません。穴をふさぐ立ち位置を探すのです。

                    ビジネスのいろはとして、ターゲットの選定がありますが、ターゲットにも生活環境があります。ターゲットを取り巻く環境、背景を見定め、何かが不足している場所、ドメインを探すことが今後を生き抜くポイントになると思います。その限られた世界で必要不可欠な人になるのです。

                    ものが無い時代だから売れたものは確かにあります。しかし今の時代、何でも簡単に手に入るように見えても、もっと広いドメインで考えれば、自分の当たり前を享受できていない、利便性を知らないままの人は思っているよりもたくさんいます。
                    それは既存サービスの翻訳や焼き直しでどうにかなるものではないのです。そういう環境の人たちは、私たちの当たり前や利便性どころか、そのサービスの存在自体を知らない、もしくは目の前にあって見過ごしてることが多いからです。

                    教え、教わる関係を構築する

                    仮にも自分がコンピュータを活用した商売に立つ者なのであれば、コンピュータ利用によるメリットや可能性を伝えられる力を身につけていかねば、ビジネスは発生しません。SIer的なシチュエーションを前提にですが、ビジネスが発生する対象は、大なり小なり解決したい問題があります。
                    まずはその対象の環境や背景を教わり、それと関する様々なトピックを教えることで、協力して解決できる可能性を示唆できます。ここで初めて、売ると買うという立場を構築するスタートラインに立つことができます。ここまでの過程には様々な引出しが必要です。必要不可欠な人は、そういった自分のアップデートを絶えず行っていると思います。

                    教え、教わる関係は間接的なコミュニケーションであっても成り立ちます。大事なのは、自分が教えていることは、あなたにとって意味のあることだと気づいてもらうように伝えることです。それによって相手も自分にとって有用な情報を教えてくれます。

                    生き残るのは少し先の未来を見せてくれる人

                    技術力、コミュニケーション力、巷でフリーランスにこれから必要な能力はこれだと言う内容を散見します。とはいえ、10年後の自分を見通す人はいませんし、技術の進歩を見通す人もいません。予言や先見に確証はないからです。その時になって、過去の予言や先見が当たっていれば、「ほらね」と少し威張れるだけです。

                    私が他の企業ではなく、フリーランスの人に仕事を頼むのであれば、今よりも多く利益を提供してくれて、今よりも良くなった未来の自分を見せてくれる人に頼むと思います。その未来は10年20年ではなく、半年後や1週間後でも良いのです。少し先の未来に人は対価を払おうとしてくれるのです。喉がかわいて仕方が無い時に、目の前にジュースの自販機があれば、間もなくジュースを飲んで幸せになっている未来にジュース代として対価を払っているのです。

                    私が10年後20年後、どういう形で働いているかはわかりません。開発の最前線にいるのか、マネジメントをしているのか、はたまた路頭に迷っているのか。
                    ただ、今後もITというインフラ、コンピュータという道具は最大限活用していくでしょう。そして、少し先の未来を見せられる人であり、必要な不可欠な人となるよう、自分をアップデートし続けて行きたいと思っています。

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                    作者について

                    青森県内でソフトウェア・システム開発を行うフリーランスのプログラマー。元々は集中監視システム開発に従事。現在はウェブサイト製作・オンラインシステムの開発案件を中心に、プログラミングのスキルトレーニングや講演も行う。

                    TEL 0172-55-7030  FAX 0172-55-7031
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                    恐れ入りますが、お急ぎの場合を除いて、メールにてお問い合わせください。